「忙しい」とは

「忙しい」という言葉についてよく考えることがある。

 

いきなり自分の話で申し訳ないが、ちょうど今自分は今「忙しい」時期にあると思う。

なぜなら来月にいよいよ教員採用試験の1次試験があるから。

 

でも正直に言うと、「忙しい」という実感はない。

確かに今は勉強なりなんなりで時間はいっぱい費やしているけど、なんというか、「来るべき時に備える時間を過ごしている」という感じだ。

 

「忙しい」という言葉は非常に便利な言葉だと思う。

例えば、付き合っている人がいるとして、その人と遊びたいから、その人の都合を聞く。

そうすると、「忙しい」という言葉が返ってくる場合だってあるだろう。

でも、何がどう「忙し」くてどれぐらい時間がないのかは、「忙しい」という言葉だけでは推し量れない。

 

つまるところ、「忙しい」っていう言葉は、その人の精神の余裕の尺度だと思う。

 

仕事や課題にやらなければならないことがあれば、それに打ち込まなければならない。

それが山積みになれば尚更のこと。

そうすると、他に目を向ける場合じゃない。

要は、精神に余裕なんてあったもんじゃない。

すなわち、「忙しい」。

 

持論だけど精神なんて脆いものだから、何か辛いこと大変なことがあったら「忙しい」という言葉に逃げる場合だってあるだろう。

 

このことに気付いたとき、自分は「忙しい」という言葉をあまり口に出すことが好きでなくなった。

精神に余裕がないのを作り出した自分が、ちょっと怖くなるから。

 

あと、身の回りにいる人が「忙しい」って言ってたら、「何かのサイン」なのかもね。

ひょっとしたら、だけど。

 

ちなみに教員採用試験の勉強を怠って「忙し」くないわけじゃないのでね!笑

そこだけは誤解しないでほしいところです。笑